ITFの元会長、ジム・ハンターが逝去したとの知らせを受け、ITFは悲しみに打ちひしがれるとともに、様々な思い出を思い起こしています。ITFファミリー、とりわけ鉄道部会加盟の北米のITF加盟組合を代表して、ジムの家族と友人に心より哀悼の意を伝えたいと思います。
ジムは同じく鉄道出身のオーストリアのフリッツ・プレクトル会長の後任として、1986年にルクセンブルクで行われた第35回ITF世界大会でITF会長に選出されました。1932年生まれで、カナダ国鉄の鉄道員になり、カナダ鉄道運輸一般労組の一般組合員から委員長にまで上り詰めました。ジムがITF会長を務めた時代に、ジムの出身組合はカナダ自動車労組と合併し、後にカナダ最大の労働組合として知られるユニフォーが結成されました。
ジムはルクセンブルク大会で、全会一致で会長に選ばれた後、第36回フィレンチェ大会で再選され、第37回のジュネーブ大会で退任し、後任のドイツのアイケ・ユーレンに会長職を譲るまでITF会長を2期務めました。それまでのITFの90年にわたる歴史の中で初の非欧州出身会長で、ジムは冷戦が終結し、世界中で交通運輸サービスの自由化と民営化が急速に進んだ激動の時代にITF会長を務めました。ベルリンの壁崩壊からジムがITF会長を1994年に退任するまでの間に、94労組が新たにITFに加盟したことは、激動の時代にジムが強いリーダーシップを発揮したことの表れといえます。
ジムはジュネーブ大会での退任挨拶後、金バッチを授与されました。「世界をより良くするという希望の中で、交通運輸は世界を牽引する産業となりえます。交通運輸はその性質上、公共の利益となり、社会的配慮のもとに計画されるべき公共サービスです。また、環境問題や地域社会全体のニーズも考慮したものでなくてはなりません」との退任の言葉を残しました。この言葉は2019年の現在のITFにとっても、まさに相応しいものです。
ITFファミリー全体がジムを失った喪失感で一杯ですが、ジムの思い出を胸に、ITFは全世界の交通運輸労働者が安全な職場で働き、公正な処遇を受けられる世界を目指して闘いを続けていく所存です。
スティーブ・コットン ITF書記長
パディ・クラムリン ITF会長