パナマ運河建設は、世界で最も危険な工事だったという負の歴史を持つ。32年間で30,609人の労働者が命を落とした。ビルマ鉄道建設中に亡くなった捕虜の数よりも多い。
世界の大型船に対応するための拡張工事が完了して以来、パナマ運河の安全性が注目されている。
タグボートの乗組員は、毎年12,000隻以上のパナマ運河通航をサポートする彼らの危険なまでの長時間労働が、彼らのみならず、船舶や運河自体の安全性を危険にさらしていると指摘する。
「新運河が開通する前、タグボートや人員の数を増やす必要があると経営側に訴えたが、全く聞いてもらえなかった」と、あるタグボートの船長はセーフティ・アット・シー(SAS)に匿名で語った。運河の運営のために、乗組員の長時間労働や休日出勤が恒常化している。
「3日間で13時間残業した」とホセ(仮名)はSASに語った。「我々は脅されているため、たとえ居眠りすることになろうとも、働き続ける。“疲れた”と言ったら解雇すると脅された者が4人いる。もう続けることはできない。これ以上続けるのは無責任だ」
船長・航海士組合(UCOC)は、パナマ運河庁(ACP)が船長らの懸念に対応しようとしないため、ITFに実態調査を要請した。これを受け、ITFは、ヒューマンエラー、事故原因、および産業医学の専門家であるバリー・ストローチ博士とイザベル・ゴンザレス博士に調査を委託した。この調査報告書「パナマ運河のタグボート船長の疲労」は警鐘を鳴らす。
疲労を誘発する勤務スケジュールが2つの負の結果をもたらしていることが判明した。1つは、タグボート船長の健康に関するものであり、もう1つは彼らの仕事ぶり、ひいてはパナマ運河全体の安全性に関するものだ。
「タグボートは、危険貨物を搭載する大型船が狭隘で複雑な運河を通航する際、重要な役割を果たしている。乗組員の疲労は壊滅的な事故につながる可能性がある」と報告書は結論づける。
新運河が開通してから2年間(ネオパナマックス5,000隻が通航)のうちに、既に大規模な衝突事故が2度、深夜0時~2時の間に発生している。そのうち、少なくとも1回は、明らかにタグボート船長の疲労が原因だ。タグボートと米国沿岸警備隊(USCG)小型ボートの衝突事故をめぐり、USCGがACPに情報提供を要請したところ、ACPはこれに応じなかった。
米国当局は、タグボート船長との面会だけでなく、事故調査に関わっているACP職員との面会も拒否された。タグボート船長の勤務スケジュールの提供も拒否された。
このような状況にもかかわらず、米国家運輸安全委員会(NTSB)は、2017年4月18日に発生したタグボート、セロ・サンチアゴ号とUSCG小型ボート、タンパ号の衝突事故は、「セロ・サンチアゴ号の船長が、疲労により、ワッチ(見張り)を怠った」ことが原因であるとの結論を出した。
2016年6月2日に発生したもう一つの事故では、タグボートが押していたバージがUSCG小型ボートの船尾に追突した。
これらの事故は、ACPにとっての教訓とはならなかったようだ。ACPはタグボートの定員を削減し、労働時間を増加させた。
乗組員の削減
2018年4月12日、ACPはタグボートの乗組員を3分の1削減し、船長2名、機関士1名、操機長1名体制とした。
そして、2018年7月1日に、新閘門への移行期間に雇われていたセカンド・キャプテン(“リリーフ”の船長)が廃止された。「疲労は一層高まった」とホセは言う。
「皆、居眠りしている。7月以降、7隻のタグボートが船に衝突した。乗組員の居眠りが原因だ。これまでは、年に1~2回だった。今は、半年に7回も事故が発生している。報告されていない事故もある。ニアミスもある。マイクロスリープによるニアミスをたくさん知っている。わずか数秒の居眠りでも船に衝突するには十分だ」
苦しんでいるのは船長だけではない。2017年11月、新閘門でラインマンが頭部を負傷し、死亡した。2017年4月には、ライン作業中に事故が発生し、作業員が重症を負った。2019年1月15日には、別の作業員、アダムス・カバレロが事故死した。タグボートの乗組員は、これらの事故の原因が人員削減にあると主張する。「当局は人件費をカットしようとしている」とホセは言う。
「タグボートは人員不足だ。船尾と船首に一人ずつ配置する余裕はないので、一人が走り回らなければならない」
定員削減は、少ない人数で多くの仕事をこなさなければならないことを意味する。乗組員の疲労は蓄積し、孤独感も高まる。
報告書は、「座礁事故の3分の1は、疲労したオフィサーが夜間に一人でブリッジを当直していたことが関係している」とする2004年の英国海事捜査局の調査結果を引用し、疲労と海難事故との関係を指摘する。
一方、米国家運輸安全委員会は1990年、1989年3月24日に発生したタンカー、エクソン・バルディーズ号の座礁事故は、「三等航海士が疲労と業務過多により、適切な操縦を怠った」ことが原因の一部であると断定した。
ITFの委託調査でインタビューを受けた船長55人のうち、大半が12時間~20時間の勤務を命じられ、十分な休憩を取れていなかった。全員が疲労していた。45%が60日間で20時間勤務を16回経験していた。75%が睡眠障害を抱えていた。
操船中に短い間居眠りしたことがあると答えた船長が6人、通勤中に運転事故を起こしたことがあると答えた船長が6人いた。
インタビューに応じた船長全員が、タグボートの運営体制が変わった2016年4月以降、疲労が増したと答えた。通航量の増加にもかかわらず、タグボートや乗組員の数は増えていないと調査報告書は指摘する。
インタビューを受けたある船長は、奴隷のように働かされていると答え、次のように語った。
「まるで刑務所のようだ。いつ下船できるか、交代要員がいるのかどうか、妻や子供に会えるのかどうか、全く分からない。トイレ休憩さえ懲戒処分の対象となり得る。まるで奴隷だ」
別の船長は、トイレに行くのにパイロットから許可を貰わなければならないこともあると説明した。別の船長は、トイレに行かなくて済むように、水を飲むのをやめたと語った。
「4〜5時間連続で操縦しなければならないこともある。新運河では操縦席から離れることができない。旧運河では、5件の仕事が入ることもあったが、仕事と仕事の合間に10~15分あった」とある船長は言う。
乗組員は、時間外労働の規制がないことを強調する。
「疲れたと言い過ぎると、ボーナスを減額される」と別の船長は言う。給料を減らされるよりは、目を覚ます方法を開発するのだという。例えば、コーヒーを飲んだり、頬を叩いたり、ダンスしたり。
旧運河と新運河の違いは実に大きいと船長は説明する。「この仕事を安全に行うためには、セカンド・キャプテン(2番手の船長)が必要だ。セカンド・キャプテンがいることで、休憩も取れるし、仕事に集中できる。一名体制は非人間的だ。船を操縦する人が一人しかいないのだ」
地獄の労働
操船は容赦ないと船長らは口にする。パイロットが本船に停止させた時でさえ、タグボートは監視しておく必要がある。海面が上下するので、本船の側面やアンカーにぶつからないように注意していなければならないからだ。
新閘門になり、タグボート乗組員の仕事量は増えた。ネオパナマックスの通航をサポートするには2隻のタグボートが必要だ。「動力は他にない。タグボートと本船だけだ。地獄のようなシフトが組まれている。LNGタンカーの曳航は特に大変だ」とある船長は言う。
別の船長によると、パナマ政府は「船員の訓練及び資格証明並びに当直の基準に関する国際条約(STCW)」を締結しているが、ACPは独立した存在だという。
「ここ1〜2年、船長のダブルシフトは珍しくなくなった。17時間労働の後、次のシフトに入ることもある」とある船長は説明する。
ホセはSASに次のように語った。「新閘門の開設当初は、8~9時間の深夜勤務の後に帰宅していたが、今はさらに3時間連続で働かなければならなくなった」
新閘門には、疲労問題だけでなく、壁面の問題もあるという。
「旧閘門は、タグボートが壁面に衝突しても頑丈だった。しかし、新閘門は、何かがちょっと接触しただけで、構造的にダメージが及ぶ。閘門の壁面は既に陥没している。フェンダーは非常に高額だが、役に立っていない。本船が停止している時も、タグボートが壁面に接触しないよう、中央にとどまっていなければならない。
45度の角度にしなければならない。タグボートが壁面に接触したり、フェンダーを壊したりしないように、操縦席を離れられない。離れたら、重い懲戒処分を受けることになるだろう」とホセは説明する。
多くの船長がパナマ運河の安全問題の緊急性を指摘するものの、対策はほとんど行われていないと感じている。その原因は脅迫にあるという。セカンド・キャプテンが廃止された時、文句を言ったら解雇すると脅された、と船長らは説明する。
「ACPは我々のことをテロリストや犯罪者のようにマスコミに伝えた」とホセはSASに語った。「セカンド・キャプテンは?」などと言おうものなら、解雇される。実際、11人の船長が解雇の脅しを受けた。
ACPは報告書で主張されている全ての疑惑を否定した。
「パナマ運河は、運営や労働者の安全性について、最善慣行に基づきながら、国際基準を遵守している」とSASの担当者は反論した。
「ITFはパナマ運河の労働問題に関係ない組織だ」
「最近、独立した専門家に調査を2件依頼したところ、安全性が証明された。ACPの組合もこの調査に参加している」と続けた。
ホセはこれらの調査のことを認識していた。当時、ホセはシフト制や疲労問題について調査するよう経営に頼んだが、中間報告書ではこれらの問題が認識されなかったという。その後、ACPは、マリタイム・グループ(TMG)ロンドンに新閘門の運営やタグボート船長の仕事量に関する調査を委託した。
「その調査の報告書は、ACPが船長1名体制を取るなら、船長を助ける船員1名を配置することを勧告したが、勧告は無視された」ホセは言う。
一方、TMGのマルコム・パロット・マネージングディレクターは、調査の存在を認めたものの、ACPから委託された調査の報告書はACPのものであり、内容を漏らすことはできないとして、コメントを拒否した。
ACPタグ運航部門のマックス・ニューマン氏にもコメントを求めたが、本稿執筆時点において回答はない。
ITFは、ACPが疲労関連の事故を隠蔽し、リスクを無視していると主張している。
UCOCは、ITFの委託調査報告書を国際海事機関(IMO)、国際海運会議所(ICS)、国際海事使用者委員会(IMEC)、多数の船社に送付し、タグボート船長の疲労に起因する安全問題を提起した。ITFのユリ・スコルコフ内陸水運部会議長はSASに次のように語った。
「船長、船員、船舶、運河自体に対する深刻なリスクに対応すべきだ。問題解決のために、全関係者に協力を呼び掛けている」
ITFの調査報告書は、ACPがIMO規則や安全慣行を遵守してこなかったことに鑑み、運河の安全性を監督する独立機関を設置することを勧告している。
この他にも、新閘門通航中はセカンド・キャプテンの配置をACPに義務づけること、タグボート船長が責任を負う業務に関する決定にタグボート船長を関与させること、ACPが安全管理システムや疲労リスク管理システムを導入することなどを勧告している。これらの勧告には、タグボート船長が勤務の間に睡眠パターンを調整できるような時間を十分に確保することや、タグ船長の連続勤務時間を制限すること、職場や職場近くに休憩施設を用意すること、勤務の合間に最低限の休息時間を確保することが含まれている。
ゾエ・レイノルド記者著
出典:セイフティ・アット・シー(SAS)
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