YN
2 months 3 weeks ago
一方の王はこのシーズン中盤で首位打者争いから脱落、1967年は打率トップで終盤を迎えるも中日の中暁生に逆転されてしまった。西南の役は西郷に人心が就かなければ、あれほどの事は出来はしないであったろうが、薩藩の者は申すに及ばず、他国の婦女子までも、西郷先生ならばと云って、皆戦争に出る気になった。 なお、王は1965年4月12日の対中日戦(後楽園球場)で中日の柿本実の長嶋への危険球を発端とする乱闘(この乱闘で金田が柿本に足蹴りを見舞い、退場となっている)でも、乱闘には参加せずベンチで独り手を洗い水を飲んでいたという逸話があるほど争いを好まず、乱闘の口火を切ったのはこのバッキーとの諍いが唯一である。
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